エンターテイメントの可能性
~全ては人を楽しませることから始まる~
斉藤 亮太選手(フレスコボールJAPAN OPEN2018 優勝)
心の叫びの追求
基本的に興味ないことはやらないスタンス。これが斉藤選手の持ち味なのかもしれない。
実は、スポーツの中でもテニスプレイヤーを目指していたが、上には上がいることを痛感して挫折してしまった経験がある。
それでもテニスは好きだったのでテニス雑誌の編集者になりたいと思い、大学はジャーナリズム系の学科に入り、新聞部に入部し実務経験を積んでいた。
新聞部で編集していた雑誌
「専Sation」
・専修大学公認団体「専大スポーツ編集部」
年2回の発行
大学構内はもちろん、地域のお店や区役所などでも配布中
「このままいけば編集者として仕事を切り拓ける」
そんな矢先に、衝撃的な出会いがあった。
錦織圭選手である。
彼のプレイに日本中が熱狂していた。
“自分もああいう風になりたい”
「取材するよりされる側になりたい!」
この日からテニス漬けの日々が始まる。気付いた時には就活もしなくなり、ゼミにもいかなくなっていた。周りに流されて、社会のレールに従うことだけが全てではないと思ったからだ。
それから色々と模索をした。
100名以上の部員がいるテニスサークルを運営する年代となり、みんなが楽しんでくれるように、思い出になるように頑張ってサポートしたりもした。
その経験から、表舞台でただ人気者になるよりも、人を喜ばせることを今後はしていきたいと感じるようになった。
笑顔が見たい!たくさんの笑顔を見ることが幸せ!
そのために人を楽しませたい!
ここに彼の信念が詰まっている。
スポーツ以外もトライしてみた。
高校の頃から憧れだったEXILEみたいにかっこよく音楽で人を楽しませさせたくて、EXILEのオーディションにも応募する為に音楽活動も始めた。
事務所にも入って毎月ボイトレをしてLiveもして、人前で楽しませることをやってみたりもした。
また、イベントオーガナイザーにも挑戦して2ヶ月に一度のペースでハロウィンやクリスマスのイベントを開いて、みんなに楽しんでもらうことも追求した。
時には100名近く集まるイベントもみんなで作っていった。
ただ、どれもスポーツで得られるものとは違った。
もっと熱中できるものは、、、悶々とした日々を過ごしていた。
フレスコボールとの出会い
テニスの裏方としてスポーツ分析の勉強をする為にスポーツアナリスト協会の会員となり、テニスの分析をしていた時だった。
スポーツイベントの事業をしている方からたまたまtwitterで連絡があり、そこで教えてもらったイベントでついに運命の出会いを果たす。
それが、フレスコボール
そのスポーツにすごく興味が湧き、夏の大会を見学させてもらったときのことは今も忘れられない。
実はその大会に、たまたまブラジルの世界チャンピオンも来日していて、初めてフレスコボールを体験したときの相手が、なんと世界チャンピオンだったからだ。
こんな体験をした人は滅多にいないだろう。まさに運命である。
ただ体験したときはテニスのボレーボレーに近い感じがして簡単にできて、そこまでハマることはなかったのだった。
フレスコボールってどんなスポーツ?
フレスコボールは、ブラジルはリオデジャネイロ発祥の新感覚のビーチスポーツです。
1945年にリオ・デ・ジャネイロの、コパカバーナビーチで考案されました。以来、各地のビーチで親しまれるようになっています。日本フレスコボール協会は、このスポーツを日本で多くの人に知って楽しんでもらいたいと、2013年に設立されました。近年では、スペインやイタリアといったヨーロッパ、オーストラリアやニュージーランド、アメリカではフロリダやカルフォルニアといった西海岸で広く楽しまれており、競技人口も急速に増えています。
一言で言うならば、「思いやりのスポーツ」
斉藤選手は毎週どこかしらでフレスコボール イベントを開催中♪
斉藤選手が最初に感じた衝撃を是非体感しよう!
火が灯る瞬間
その後フレスコボールを定期的にやっていると、2016年の2月に日本代表の方からの誘いがあった。
「ビギナーズの大会があるから出てみない?」
いきなり誘われたので正直驚いたが、出てみたいという気持ちが前のめりになって出てきた。
「大会、出ます」
とは言ったものの、フレスコボールは基本的に2人ペアでやるスポーツで、不安も大きかった。
そんな不安は他所に、大会までになんとかペアを見つけ練習に励んだことが功を奏した。
実は、ペアになった人がたまたま同じようにペアを探しており、全力でやりたいという熱意もある素敵な出会いという奇跡も起き、なんと、大会初出場にして優勝することができたのだ。
斉藤選手はそのときの心境をこう振り返っている。
「スポーツではよく相性のことなど言われることがあるけど、相性よかろうが悪かろうが頑張るしかない精神でやっている自分がいました。その頃から自分はハマっていきましたね」
さらに高みへ
まだまだ勢いは止まらない。
2017年にロードtoリオのプロジェクトが開催され、そこでは年間の総合成績1位の優秀者にブラジル大会への出場を招待され、選手はその出場権をかけて切磋琢磨していった。
ここを突破できるかどうかが今後の自分の人生の分かれ道になる。そう斉藤選手は心に決めていた。
必死になって挑んだ末、見事に日本ランキング1位となり、ブラジルの大会出場の切符を手に入れることができた!
そして、日本代表として赴いた現地で世界チャンピオン(フレスコボール 初体験の相手)と再会を果たす
本当に素晴らしい快挙である。
実はフレスコボール自体は、ブラジルでは盛んなスポーツで無形の文化遺産になっていて、今回海外の選手が招かれてブラジルで大会をするは初めての状態だった。ブラジルの人たちは海外の選手を温かく迎え入れてくれて、斉藤選手にとっても非常に貴重な経験ができたことはいうまでもない。
ブレない気持ち
日本ランキング1位となり、世界でも戦うようになるとある思いが込み上げてきた。
みんなの笑顔を見るのが楽しみ。
フレスコボールを通してたくさんの笑顔が見たい!フレスコボールを広めたい!!
「武井壮さんもマイナースポーツをやっていた経験があって、求める人の数で価値が決まると話していて、それを教えてもらってから自分の考え方も変わっていきました。メディアに取り上げられただけではダメで、もっといろんな人に知ってもらう活動をしたほうがいいと感じるようになりましたね」
2017年はあまりそういった活動もできなかったが、2018年になって改めてそういう気持ちになってきたので、現在はtwitterやInstagramなどのSNSで普及させることに努めている。
笑顔あふれるスポーツ、それがフレスコボール!
フレスコボール と言えば、何と言ってもビーチスポーツ!
インスタ映えします✨
夕焼けに染まる海岸沿い、素敵なひと時を思いやりのスポーツで満たせる時間は至福になること間違いなし♪
ビーチスポーツが一挙に集まるイベントにて斉藤選手もフレスコボール の普及活動を推進されています。
いろんなスポーツが楽しめそう✨
全ては人を楽しませること。斉藤選手の信念を感じ取れる。
彼のフレスコボール への思いが繋がり、2018年JAPAN OPEN優勝。
その会場は3年前初めてフレスコボール に出会った思い出の場所でもあり、ブラジルから来日されていたトップ選手の方にその勇姿を見せることができ、恩返しもすることができた。
▶︎フレスコボールについて斉藤選手に聞いてみよう〜♪(意外な素顔が見れるかも^^
official twitter
(Ryota Saito ; professional frescoballer)
official youtube
(frescoball-island)
現状の課題
試合に出ている日本の選手がまだまだ少ないのが現状。(およそ100人前後、2018年7月時点)
メディアへの露出やイベントなどの開催数は増えているが、選手、アクティビティとして継続的に始める人を増やす手段が不足している状態。
斉藤選手は、学生に呼びかけたり自身でもイベントを開催するなどしてフレスコボールの普及に積極的に尽力している。
現状の活動と今後の展望
学生に広めるため、大学生であるが同じ大学生に大学の授業として教えたり、お金を頂いてレッスンしたり、もっと幅広く広める表現を学ぶために写真やデザイン、ITを勉強して発信したりもしている。
今後は日本や世界の色んな場所へ旅をして、フレスコボールを広めて楽しんでくれる人を増やしたい。
そのためにシェアハウスやお店などでラケットを置いてもらったり、日本全国にいる友達や知り合いにフレスコボールを体験してもらう旅やヒッチハイクでフレスコボールを広める旅をしていくことなども実施中!
〜斉藤選手より〜
人生で1番夢中になってるフレスコボールを広めることに人生かけてます!!
フレスコボールで生きていくため活動中!
ブログでも発信中!
終わりに
斉藤選手のように若くして、大会などで実績を収めチャンスをものにしていくことは容易ではないと思うが、スポーツを通してかけがえのない人のつながりや、自身の信念を築けることは誰にとっても言えることではないだろうか。
フレスコボールは”思いやりのスポーツ”という愛称もあり、スポーツが苦手な方や普段あまりしない方も楽しめる要素がたくさん詰まっている。
自身の可能性を広げたい方は是非トライしてみては?!
One comment on “【Column】Column 003 〜マイナースポーツの軌跡〜 ”